午前様クラブ野球の生い立ち

午前様クラブ創設当初のスナップ

とにかく、へたでもいいから試合に出たい!そんな会社の野球部メンバー4人が立ち上がったのは、昭和58年の夏が終わろうとしているときでした。まずメンバーの選考から始まり、チーム名、ユニホームと次々と決まっていきました。年長組の横山部長、ジョークの北宮監督、ねちっこい浅谷主将、人の良い平野幹事以下、個性的な総勢15名で、「名球会」をもじって「明球会」とし、この当時としては奇抜なツートンカラーに身を包み、さっそうとデビューしました。なんと土曜日毎に旧サッカー場にて練習まで行い、練習後ビールを飲み盛り上がりました。しかし、現実は厳しく泣かず飛ばす。でもみんなは明るかった。そのうちにいろいろと問題が出てきました。投手が平木一人しかいなく連戦ができないこと、若手のスラッガーがいないこと。これではたくさんの試合(大会)に出場できません。でも、中嶋・永原・布江と当時若手補強が成功し、油田リーグへの参加により試合数も増え、問題は解決しましたが、なかなか勝てませんでしたね・・・・・。そんな経過の中、創部8年目にして中嶋君を中心とした若手主体の「午前様クラブ」として生まれ変わったわけです。

砺波午前様クラブ元相談役 平野 俊一

中部日本大会出場の映像

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