砺波午前様スペシャル時代1994年~2000年(7年間)

1994年(平成6年)【12年目】

チーム名を「砺波午前様スペシャル」に変更し、三代目ユニホームを導入。福岡ダイエーホークスモデルを基本としてオレンジ色を採用。

  • チーム5連勝を記録。
  • 1イニング12得点を記録(6月8日カローラ戦)。しかし1イニング15失点も記録(8月10日ハリカヤンキース戦)。
  • 東日本2部大会ベスト4進出(準決勝でジゴロに0対3で敗れる)。
  • 全日本早起き野球全国大会が城端町で開催、午前様が岡山県代表の「ザ・セクシャルズ」の世話役を務める(10月8日~10日)。
  • 砺波午前様白倉律子応援団発足。白倉律子応援団会則制定。
  • 午前様ベクトル制定。午前様ソングミュージックテープ作成。
  • 記念誌「からだ~エクセレント」を発刊。
  • MVPは加藤。

1995年(平成7年)【13年目】

東京ドーム遠征(1995-8-14)

8月14日東京ドームで紅白戦。「午前様IN東京ドーム」が現実のものとなった。観光バス利用・品川プリンスホテル泊の大企画。白倉律子さんの始球式でプレイボール。

  • 93~95年にて加藤が3年越しで30試合連続出塁を記録。
  • 1試合チーム最多二塁打5本(7月29日、湯浅・横江・藤崎・村上・平木)の記録を作る。
  • 高松宮2部大会で準優勝(決勝戦で県信用組合に1対9で敗れる)。
  • 平木監督通算50勝を達成。部長に永原就任。中沢・中居が入部。
  • 背番号1が永久欠番に。新機関紙「午前様通信」を発行。
  • 記念誌「からだ~ドーム」を発刊。
  • MVPは栄前田。

2大名文句が完成

?@「午前様には聖域があります。それは4番打者。誰もが夢見る午前様の4番打者(栄光の4番打者)。それは『草野球会の4番打者』を意味します。」

?A「勝利が呼ぶ感動より、感動が呼ぶ勝利を、私達は求めたい。~愛しい人を大切にしましょう~」

1996年(平成8年)【14年目】

  • 90~96年にて湯浅が6年越しで13試合連続安打を記録。
  • 不名誉な1試合チーム15三振を記録(4月7日上智戦)。
  • 砺波午前様クラブ表彰規定(新)制定。
  • 記念誌「からだ~ブラック」を発刊。中越が入部し投手不足を解消。
  • MVPは宮村。

1997年(平成9年)【15年目】

松井選手のお母さんと

片山津温泉での納会の帰りに松井秀喜野球の館を訪問し、メンバー達が松井選手のお母さんと写真撮影をする。

  • 永原が通算100安打を達成し午前様名球会第1号(午前様殿堂入り)となる。
  • MVPは中沢。

1998年(平成10年)【16年目】

ナゴヤドーム遠征(1998-10-31)

第二弾「午前様INナゴヤドーム」開催(10月31日)。

長島茂雄巨人終身名誉監督と(H.11.1)

記念誌「からだ~ドリーム」を発刊。中嶋が長嶋茂雄氏と会談(平成11年1月11日)。なんと長嶋茂雄氏がからだドリームに直筆サイン。ミスター長嶋直筆サイン入り「からだ~ドリーム」を手にした幸運なメンバーは、平木・中嶋・森田・石崎・加藤・中沢・滋野の7名。

  • 名文句?A「勝利が呼ぶ感動より、感動が呼ぶ勝利を、私達は求めたい。~素敵な夢を叶えましょう~」に変更。
  • 部長に布江が就任?西田・滋野が入部し若返りが始まる。
  • MVPは西田。

1999年(平成11年)【17年目】

全日本早起き野球大会県大会に出場し、伝統の県営富山球場で試合(8月22日)。

スーパー補強として、吉水・橘・澤木・茶中が入部。

  • MVPは橘。

2000年(平成12年)【18年目】

大阪ドーム遠征(2000-11-4)

第三弾「午前様IN大阪ドーム」開催(11月4日)。大阪梅田~御堂筋にかけて、午前様ミレニアムパレードを実施。

  • 中嶋が通算100安打を達成し午前様名球会第2号(午前様殿堂入り)となる。
  • 白倉律子応援団収束。
  • MVPは中沢。
  • 午前様11年間の対戦成績は171試合61勝100敗10分(勝率.378)

中部日本大会出場の映像

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