1990年(平成2年)【8年目・午前様元年】
ここ近年、認めたくはないがチームとしての戦力ならびに組織力の低下が深刻化していた。このままではチームの存続・維持が危険な状態にあると感じ始めた時だった。「新チームの設立を…」そんな思いが首脳陣の頭をよぎった。新しい風を吹かせよう。新しい歴史を作ろう。明球会を母体に、明球会の延長線として、明球会の精神を継承した新チームの再結成が一番求められる形だった。新チーム設立委員会が選手の抜粋を行い、新チーム名に沢山の意見が飛び交う、活気に満ちて全員が輝き始めた。この瞬間を待っていた。そして遂に「午前様クラブ」の誕生となった(2月4日矢形舟にて午前様クラブ結成式)。夢が広がり希望が溢れる、新しい船出の時が駆け足で訪れた。入部者は、森田・栄前田・加藤・武田・井上・宮村・中山と、最大級の大型補強に成功を収める。ユニホームはオリックスモデルを基本とした素敵スタイル。「午前様クラブ」の名の元に草野球会に殴り込みを掛けた事は言うまでも無く、絶対的な将来の価値を約束するかのように、1990年午前様劇場の幕開けとなった。部長に中嶋が就任。永原が4番に定着。午前様クラブ初安打は平野が記録。午前様クラブに進化を遂げた証しとして、年間23試合を行いチーム年間最多試合数を更新する。午前様旋風が巻き荒れ「午前様ブルーサンダー打線」の名称が定着する。壮絶な試合が多々繰り広げられ北陸コカコーラとは延長12回の死闘まで行う(結果は0対0)。チームは見事に1990年度油田リーグにおいてリーグ優勝を飾る。森田がタイトルを総ナメし三冠王に輝く。
「素敵にユニホームを着こなし、見慣れた仲間と顔を合わせ、会話にプレーに盛り上がる、結果よりも満足を、全員が楽しく好きな野球が出来るチーム」新しいスタイルの野球チーム「午前様クラブ」の完成の年です。
1991年(平成3年)【9年目】
砺波市の中において核となるチームを目指すという強い意志の表れから、組織名・チーム名を「午前様クラブ」から「砺波午前様クラブ」に変更。
1992年(平成4年)【10年目】
午前様祝・チーム10周年
チーム結成10周年を記念して「10th Anniversary of THE GOZENSAMA CLUB」(森田作)の名称の元、記念ワッペンと記念キャップを作成し、10周年に華を添えた。
1993年(平成5年)【11年目】
砺波チューリップスタジアムが3月にオープン。こけら落としにまだ2軍だった巨人軍松井秀喜が来たが、一塁側ベンチに着席しただけで試合は雨のため中止となる。松井秀喜の砺波チューリップスタジアムでのホームランは幻と消えた。
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中部日本大会出場の映像
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